卓話
2025年3月
卓話『大河ドラマの主人公「蔦屋重三郎」とは?』2025年3月31日
時代小説家・江戸料理文化研究所 代表 車 浮代様
わたしは11年前に「蔦重の教え」という小説を書き、大河ドラマが決まって以降、去年から今年にかけて蔦屋重三郎の本を7冊出させていただきました。冊数だけは日本一、蔦屋重三郎の本を出している人間として、お話をさせていただきたいと思います。
現在大河ドラマで描かれている蔦屋重三郎は1750年に吉原で生まれ、江戸時代中期から後期にかけて活動した版元です。
蔦屋重三郎は数えで7歳の時に両親が離婚し、お母さんの兄弟という説もある駿河屋さんの養子になりました。33歳の時に日本橋の通油町に店を構えた蔦重は両親を呼び寄せ、お母さんが亡くなった時には、狂歌師である大田南畝に碑文を注文しています。現在東浅草の正法寺にある蔦屋重三郎のお墓には、大田南畝による碑文と、もうひとつは親友である石川雅望(狂歌名 宿屋飯盛)が書いた碑文があります。
蔦屋重三郎が大河ドラマで取り上げられたのは、放送100年プロジェクトの一環で、世間には知られていなくても、出版の基盤を作ったメディア王であったためというお話でした。駿河屋で育てられ、大門の近くで案内所兼貸本屋兼書店を営んでいた蔦重には、吉原をV字回復させるという大望がありました。最初は案内所のついでに本を売るところから始まりましたが、その後吉原細見の編集長に抜擢され、鱗形屋が捕まった時に自身で吉原細見を出しました。女郎の数が2/3に減った吉原を、蔦重は本の力で呼び寄せたのです。
『青楼美人合姿鏡』という花魁の日常を描いた本は、北尾重政、勝川春章という当時の二大スター絵師を採用しました。日本橋の本屋さんが奪い合いをしている絵師を、ただの貸本屋である蔦重がさらっと抜擢してしまいました。また売れていなかった絵師であった歌麿をおかかえにして狂歌連に参加させ、即興で挿絵を描かせて売り出します。それだけ蔦重は人を見抜く力があり、またビジネスセンスあふれた人であったのだと思います。
浮世絵というと普通は墨の主版あり、そこに色版を重ねてフルカラーが出来上がるのですが、歌麿を売り出す際に出した『画本虫撰』は主版がいくつもありました。例えば花だったら赤い線、葉っぱだったら緑の線、こおろぎだったら黒い線で主版があり、そこに色を重ね、さらに金銀雲母摺、エンボス加工を施し、相当な手間と時間とお金を費やして歌麿を有名にしました。これはのちの写楽の売り出し方にも似ています。無名の新人であった写楽に豪華な絵の具である黒雲母摺を使用し、一挙に28枚もの作品でデビューさせるというのは思い切った手法です。写楽の正体が誰かということは未だに謎とされていますが、そのように謎をふっかけておいて世間を騒がせて売り出すというやり方は見事だと思います。そしてご存じのように、役者の顔を奇怪にデフォルメして描いています。わたしが推理するひとつは、役者のファン以外の人間に売りたいという新しい商戦なのではないかということです。もうひとつは、あの頃は大きな芝居小屋が全部だめになり控えの芝居小屋が立ち並んだ時であったので、風前の灯になっているところを、わざと炎上させることで盛り立てようと考えたのではないかということです。蔦屋重三郎の蔦屋耕書堂から出すものは世間の注目の的となりました。それだけブランド力を持っていたということだと思います。
結局江戸時代264年の中で、名前が残っているだけでも1200人の浮世絵師がいる中の四大浮世絵師 歌麿、写楽、広重、北斎のうち2人をデビューさせ、北斎に対しても手を貸していますので、3人を手掛けたことになります。これは本当にすごいことで、人を見る目があり、企画力があり、そして反骨精神がある蔦重だからこそ成しえたことだと思います。
わたしたちが思い浮かべる美人画といえば、歌麿の有名な美人大首画だと思います。しかし以前の美人画は全身像で背景まできちんと描かれているものでした。それをアップにしたことによって、愁いを帯びた表情、恋をしている表情などを描き分け、歌麿の美人大首画が大ブームになります。寛政の改革で蔦重が財産を半減にされたあとの起死回生の歌麿の美人画だったのですが、じつはそのかなり前に試みを行っていました。歌麿の本格的なデビュー作である『画本虫撰』を出しつつ、実は『歌満くら』という至高の春画集を出しています。春画は情欲を湧き立てないといけないので大体全身像でシチュエーションがしっかり描かれているものですが、『歌満くら』は膝から上が描かれています。怒りや嫉妬の表情、極めつけはオランダ人中年夫婦のグロテスクな情景です。この時すでに、美人大首画で始めたとされる、表情を捉えて描く手法が考えられていて、『画本虫撰』で行った雲母摺や様々な印刷実験が、美人画の背景を白雲母でつぶすという技法にも繋がり、さらに『歌満くら』のグロテスクな一図は、写楽のグロテスクな役者画に繋がっています。歌麿の本格デビュー作二作が、のちのちに繋がっているということは、浮世絵研究、春画研究、蔦屋重三郎研究をしているうちに気付いたことで、また先見の明が素晴らしくある蔦重の才能に気付けたのだとも思います。
作家に原稿料を払うということも、蔦重がはじめて行ったことのひとつです。絵師はほとんどが町人で、絵師には画料が入ります。しかし戯作者はある程度文学的知識がなければいけないので、ほとんどが武士でした。武士が町人からお金をもらうことはできないので、かわりに接待で楽しんでいました。吉原で生まれ吉原を知り抜いている蔦重は、どうやったら文化人が喜んでくれるかというツボを知っているので、微に入り細に入る接待ができるわけです。そして大物を捕まえていったのではないでしょうか。
蔦重のここがすごい10のこと
「常識を変える発想をする」
「平賀源内にガイドブックの序文を書かせる」
「とことんプラス思考で物事を考える」
「生まれた場所に貢献」
「人のいいところを伸ばすことが得意」
「あらゆる困難をゲーム感覚で乗り越えられる」
「人を驚かすことを常に考える」
「思慮深くリスクにちゃんと備えている」
「一緒に働く仲間を目いっぱい大切にする」
「情報を読み人生の半歩先を考えている」
人の得意なところを見抜く力がある蔦重は、見事吉原をV字回復させました。ゲーム感覚で規制をかいくぐり、寛政の改革と戦っていきました。お金を稼ぎながら半歩先をいく突飛な本を出すというやり方は、ビジネスマンとして優れたところです。そし蔦重の周りには綺羅星のごとく才能が集まっていました。人生を楽しむ姿勢を貫き、ビジネスセンスにあふれた蔦屋重三郎の功績をまとめさせていただきました。
ご清聴ありがとうございました。
卓話『私たちの故郷バギオについて』2025年3月24日
バギオ基金奨学生 ミラソル タヌボン様
ミラソルは向日葵という意味です。趣味は料理や美術品・工芸品作りです。フィリピンではアボンの奨学生で、そこで日本を知りました。高校卒業時にバギオ基金の奨学金を目指して勉強しましたがコロナ禍で一時停止。大学2年生の時に再開されて応募しました。国際関係論を専攻しています。国際関係学は世界で何が起きているかを考えるだけではなく、多様な文化的背景を持つ学生が自分の意見を表明し、互いに学び合う貴重な機会となっています。授業の他に日本人の会話のパートナーがいます。将来の仕事について話しをすると、優しい日本語で沢山のアドバイスをくれました。子どもの頃は教師になりたいと思っていましたが、今は、日本大使館で働きたいと思っています。仕事をしながら家族を助け、バギオ基金の活動にも参加したいと考えています。一人暮らしは大変ですが、見守って下さるバギオ基金の皆様に感謝し、誇り思って頂けるよう全力を尽くします。
バギオ基金奨学生 リアン バラッグイ様
リアン バラッグイさんデジタルビジネスとイノベーションについて学んでいます。趣味はアニメ・編み物・料理・旅行と写真です。日本では趣味に必要なものが簡単に手に入ることに驚きました。留学で国際交流を経験し、フィリピンと日本と他国の共通点や相違点を知ることができて視野が広がり、将来は国際的な企業で働きたいと考えています。今年に入って人生初のアルバイトを始めました。学生が簡単にアルバイトを探せるとは思っていませんでした。フィリピンではアルバイトでも大卒や経験者優先が当たり前です。日本で四季を経験できたのも幸せでした。子どもの頃から医者や警察官・教師など、地域社会に貢献することを夢見てきました。ロータリーは職業奉仕を信条として地域社会に根ざした活動をしています。その恩恵を受けた者として、いつか地域社会に恩返しをしたいと思っています。夏休みに、子ども防災キャンプボランティアに参加して他国のボランティアと交流したり、子どもたちにフィリピンのことを教えたりしました。来日してもう一年になりますが沢山のことを学びました。これからも新しいことを経験し、新しい場所に行き、より多くの人に会うことを楽しみにしています。
バギオ基金奨学生 トリシャ ディクセン様
トリシャ・ディクソン・パウリーノさんは、フィリピンのバギオから来た20歳の留学生で、日本の四季を楽しみ、特に春の桜が好きです。2年前に日本に留学し、最初は日本語や文化に慣れるのが大変でしたが、先生や友達のサポートのおかげで日本語が上達し、生活に適応しました。東京国際大学で国際関係学を専攻し、留学生として他の学生との交流を楽しんでいます。将来はフィリピン大使館または日本大使館で働くことを目指しており、現在はグローバルガバナンスに興味を持っています。
アルバイトでは、銀座のホテルでハウスキーピングを経験した後、浅草のラーメン屋で働いており、国際的な環境で日本語を学びながら貴重な経験を積んでいます。また、バギオ基金留学生同友会の活動に参加し、チャリティーディナーや花火大会、勉強会を通じて、先輩や先生との交流を深めています。バギオ基金留学生同友会フィリピンの小学校に医療用品を寄付したり、ひらがなを教える活動も行いました。
バギオ市はフィリピン北部に位置し、パンアグベンガフェスティバル(花祭り)で有名です。日本文化の影響を受けて、寿司やラーメンの店が増え、盆栽や生け花も広まりました。さらに、フィリピンでは空手や柔道、合気道などの日本の武道が人気で、文化交流が進んでいます。トリシャさんは、日本とフィリピンの文化的なつながりを深めることに貢献しており、将来の目標に向けて着実に成長しています。
卓話『日本留学の実りーグローバルな挑戦への第一歩略』2025年3月10日
米山奨学生 金 秀彬様
皆様、こんにちは。本日は、日本留学を通じて得た成果と今後の目標についてお話しさせていただきます。まず、日本留学の実りとして、これまで例会のスピーチでも卒業論文についてお話しする機会が多かったため、今回は私の卒業論文の研究内容について簡単にご紹介したいと思います。
私は音楽心理学のゼミに所属しており、音楽鑑賞が大好きです。また、趣味として外国語学習にも興味がありました。 特に、スペイン語・中国語・日本語を学ぶ際に、自分が好きな音楽を活用して学習すると、発音がより習得されやすかったという私の実体験から、「音楽と外国語を同時に学ぶことで、発音が習得されやすくなるのではないか」という疑問を持ち、研究を進めることにしました。実例として皆様が思い浮かびやすいのは、アルファベットソングです。アルファベットソングを使って学習することで、アルファベットをより楽しく、かつ順番を覚えやすかった経験があると思います。また、音楽と言語は「リズム」「メロディー」、言語で言うとは「イントネーション」「トーン」など、多くの共通点を持っています。 さらに、どちらも人から人へと社会の中で受け継がれる文化の一つであるという点でも共通しています。
次に、音楽と言語学習に関する先行研究についても簡単にご紹介します。まず、音楽経験のある音楽家の方は言語における音高をより正確に識別できることが明らかになっています。 また、音楽家でなくとも、音楽教育を受けることで、言語の時間的差異や音高を識別する能力が向上するという研究結果もあります。さらに、アルファベットソングのように音楽と一緒に言語を学習した場合、通常の音声のみで学習した場合と比べ、記憶力テストの成績が高かったという報告もあります。しかし、これらの研究の多くは「音楽経験」「音楽教育」「音楽と言語の同時学習」が言語の認知や記憶力に与える影響にだけ焦点を当てています。そこで私は「音楽が言語の発音習得にどのような影響を与えるのか」に注目し、新たな視点から研究を行いました。
私の卒業論文の正式なタイトルは「フランス語の発声学習に長音階へのピッチ変調が与える影響 」です。 実験では、音楽的特徴を持たせるためにピッチを変調した音声と、ピッチを変調しない音声の2種類の刺激を被験者に聞かせ、真似するよう求めました。このプロセスを5回繰り返し、最後に録音したデータを分析対象としました。結果としては、有意差が認められませんでした。ですが、私が作成したフランス語の音声データや刺激操作の手法は、研究室の資料として活用されることになり、さらに、今年4年生になる学生の中に、私の卒論に興味を持ってくれた方が一人おり、今後の展開が楽しみです。
通常、心理学ゼミでは先輩の研究を発展させる形で卒論を執筆することが多いのですが、今回は私の個人的な疑問から始めた研究であるため、ゼロから研究を立ち上げる必要があり、大変なことも多くありました。しかし、自らの手でゼロから積み上げていく中で、主体性を持って行動する力を学び、結果としては私にとって非常に有意義な学びとなりました。また、韓国では特に文系の学部生のうちにこのようなアカデミックライティングを経験する機会が全くないため、私が日本の大学生だったからこそこのような貴重な経験を積むことができたと感じます。
また、卒論以外の成果についてもぜひお話ししたいと思います。私はコロナ禍で2年生の時に来日して留学生活を始めてから、早稲田大学の韓国語授業のLAとTAとして勤めておりました。この経験で私は400人以上の学生に指導する機会を得ることができました。海外で大学生を対象にこれほどの学生を指導する経験がなかなかできない貴重な経験だと思います。韓国語学習に熱心な学生たちの姿に触れ、私自身も大いに刺激を受け、より一層努力しようという気持ちにもなりました。
次に、日本に留学してから常に日本語を学べる環境にいたので、他の言語にも挑戦することができました。日本語以外に、スペイン語と中国語に挑戦して、スペイン語については中級の検定試験に合格することができました。続いて、言語の勉強も頑張ってまいりたいです。
また、早稲田大学での国際交流サークルや米山奨学生の活動で15カ国以上の出身の友達と異文化交流する機会がありました。さらに、米山奨学生として世界大会、クロスカルチャーの講師、例会で素晴らしい方々から卓話スピーチをお聞きするなど、さまざまなイベントに参加し、勉強になりました。これらの経験を通じて、異文化理解能力とコミュニケーション能力をアップさせることができたと感じます。
最後に、今後の目標についてもお話しさせていただきます。私はもともと人に対する関心が強く、その延長線上で心理学を選択し、学ぶことにしました。 3年生の就活の時も、どのような進路を選ぶべきか悩むことが多かったのですが、自分が興味のある「人々に関心を持ち、彼らの生活に寄り添う」という軸を大切にしようと考え、以前から興味を持っていたインテリア業界に就職することを決めました。また、日本留学を通じて、特に米山奨学生としての活動を通じて、さまざまなバックグラウンドを持つ方々と交流し、ご縁を築くことができました。 その経験をきっかけに、日本や韓国にとどまらず、より幅広い国や地域でも活躍したいという思いが強くなり、海外展開に力を入れているニトリで働くことを決めました。今後は、世界中の人々の暮らしに寄り添い、生活の質を改善・向上させることを目指しながら、一生懸命努力していきたいと思います。
今日の発表を準備しながら、米山奨学生の面接を準備する際に参考にしたパンフレットの中の奨学生の目的に関する文章を持ってきました。「ロータリー米山奨学生は、ロータリークラブを通して日本の文化、習慣などに触れ、社会参加と社会貢献の意識を育て、将来ロータリーの理想とする国際平和の創造と維持に貢献する人となることが期待されます。」と書かれていましたが、今回留学生活を振り返ると、米山奨学生が目指す人物像に少しは近づけたような気がして、嬉しく思いました。
去年は卒論執筆や一身上の理由で、大変な時期もありましたが、毎回例会の皆様の温かい応援と支えのおかげで乗り越えることができました。異国の地で、皆様が本当に温かい家族のように支えてくださり、心から感謝申し上げます。 初めの例会でも、「まだまだ至らない点が多いです」とお話しいたしましたが、卒業を目前にしても、まだ未熟な部分が多いと感じています。そんな至らない私に温かい目を向け、配慮してくださり、本当に感謝しています。お陰様で、皆様の温かいご支援に支えられ、充実した留学生活を送ることができました。奨学生としての活動を通じて、経済的なご支援をいただいただけでなく、私自身、大きく成長することができたと感じています。最後に、皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。これまで誠にありがとうございました。