東京六本木ロータリークラブ




卓話

2025年5月

卓話『大熊町にある「自然のまま」の農園』2025年5月26日

イラストレーター・農家 ブケ・エミリー様

イラストレーター・農家 ブケ・エミリー様

今朝5時半頃、農園でキウイの花の受粉をして、そのまま作業服で東京に来て、また農園に帰って猫とニワトリの餌をやる予定です。

わたしはフランスのブルターニュという海の近くの地方で生まれました。小さいころから自然が好きで、自然と関わる仕事をしたいと思っていました。高校生の時に日本に興味を持ち、2008年に初めて旅行で日本を訪れ、2009年には大阪に2ヶ月滞在しました。翌年にも日本に来て、本格的に日本に住んでみたいと思いました。2011年3月に東日本大震災があり、危険だからと家族から反対されましたが、予定通り4月に日本に来ました。当時は全然日本語が話せませんでしたが、2013年から日本語を勉強し始めました。

2018年に福島と出会いました。それまでは福島は危ないという強いイメージがありましたが、福島のことを何も知らないのに自分の中でなぜ嫌がっているのか、自分の目で見に行ったほうがいいのではないかと思い、2018年に初めて会津に行きました。そしてすごく好きになりました。

わたしみたいな人はたくさんいるのではないかと思います。知らないのに嫌っている人。福島に向けられている偏見を少しだけでも変えたいという思いと、福島のことをもっと知ってもらいたいという思いで、赤べこのイラストを描き始めました。会津が好きで好きで、2021年に会津に引っ越しをしました。赤べこ伝説発祥の地として知られる福島県柳津町の赤べこにも出会えました。

初めて浜通りのことを知った時、この地方で農業をやりたい、原発事故で影響を受けた町だからこそ、エコロジックな農業をやるべきだと思いました。自然のパワーを使って、自然と一緒においしものを作り、綺麗な花を育てたいと思いました。

2023年に大熊町に農地が見つかり、移住をしました。全部で1.7ヘクタールあります。震災から12年、長い間誰も手入れをしていなかったので、大きな壁とぶつかりましたが、大熊の仲間がトラクターで畝作りをしてくれて、水はけも良くなり始めました。仲間が本当に助けてくれました。一緒にじゃがいもを作ったり、テラスを作ったり。手伝ってくれるだけではなく、わたしが一人でできるように教えてくれました。2年前はまさかフォークリフトの運転ができるとは思っていませんでしたが、仲間と一緒にヘチマの棚を作ったり、サルナシや藤の棚も作りました。

農園には猫が4匹います。1年目はねずみにさつまいもを全部食べられてしまいましたが、今ではねずみを取ってくれる頼もしい存在です。去年の12月からニワトリも飼い始め、今のところ猫とニワトリは仲良く暮らしています。

畑は森に囲まれているので、色々な虫や動物が来ます。また見える景色や聞こえる声を一年中楽しむことができます。大好きな場所です。なにもしなくても秋にはじゃがいもが出てきますし、去年残っていた麦も出てきます。そのようなサイクルも出来上がりつつあります。

ベリーだけ、果樹だけ、じゃがいもだけというような栽培ではなく、色々なものを作ったほうが病気になりいくいこともわかりました。狭いところでひとつの品種だけを作ると病気になりやすいので除草剤が必要になりますが、わたしは肥料も除草剤も使っていません。それでも育てているベリーも果樹も元気です。

農業を始める前、今までに見たことがない景色を見ることができると農家さんに言われました。わたしは必ず毎日農園に行きますが、本当に飽きません。朝作業をして、午後にも作業をして、必ず夕焼けを楽しんでから帰ります。星空もとても綺麗です。

大熊町はまだ危険なイメージが強いかもしれませんし、わたしも最初はちょっと不安がありました。許可を取って帰還困難区域にも入ったことがあります。やはり原発事故があったからこそ検査も厳しく、農家でも簡単に許可が下りるものではありません。必ず県の検査を受けてからでないと販売ができず、自由になんでもできるということではないのです。最初はそれが理解できず、他の地域のことを羨ましいと思う気持ちもありました。しかし焦らなくてもいいのです。自然のリズムと合わせればきっと上手くいく、自然を信じればいいということを勉強しました。色々失敗してそこから勉強して、その繰り返しですが、それもひとつの楽しみとだと思っています。

わたしは天の川が好きで、また日本語には綺麗な言葉がたくさんあるので、日本語の名前を付けたいと思い、「あまの川農園」と名付けました。あまのがわの天を、ベリーの甘さという意味も込めてひらがなにしました。

是非一度、皆さんの目で大熊町を見ていただけたら嬉しいです。東京の雰囲気に疲れたら、自然のパワーを感じに遊びに来てください。

ご清聴ありがとうございました。

卓話『「適疎な町」のチャレンジ』2025年5月19日

北海道東川町 町長 菊地 伸様

北海道東川町 町長 菊地 伸様

北海道の小さな町というのは、中心に市街地があり、周りに水田や畑が広がっている風景が普通で、人口が8700人の東川町も他の町と変わりない風景を持っています。北海道最高峰の旭岳を有し、旭川駅から30分弱、自然豊かで利便性も高いことが、もともと東川町が持っていたポテンシャルだと思っています。
東川町の基幹産業はお米を中心とした農業で、耕作放棄地がなく、また面積の中で水田を作る割合が非常に高いので、一面鏡張りの風景が広がっています。旭岳は本当に自然豊かなところで、秋には日本一早い紅葉が広がります。そのような素晴らしい農村景観のもとにわたしたちは暮らしているのだということが最大の魅力であると常々考えています。

写真の町 40年前、写真映りのいい町づくりを進めてみてはどうだろうかという企画会社からの提案を受け入れたところから始まりました。一村一品運動で東川町は文化を選択したことが大きな分岐点であったと思います。町の条例の前文には「世界に開かれた、写真映りのいい町づくりを進めよう」という一文があります。40年前に田舎の自治体ではまったく目が向いてなかった文化や国際的な事業に先人が目を向けたところが大きかったのではないでしょうか。

水が豊かな町 東川町は北海道では唯一、全世帯が地下水で生活をしています。それだけ自然環境がよく、自然を守ってきた成果だと思います。この先も自然を大切にしていくこと、地下水の水質を守り続けなければいけないという重要な役割があると考えています。

大雪山・旭岳の町 北海道のほぼ中央にあって本当に自然豊かな町ですが、昔からの観光名所は旭岳であり、天人峡温泉地区しかありませんでした。その中に暮らしているわたしたちは、朝大雪山を見て、今日は山が綺麗に見えるということをあいさつ代わりにしながら、誇りとして生活をしてきました。

お米の町 JA東川は合併をせずに現在まで保っています。本当に血気盛んな農協で、その農協と行政がタッグを組むとどんな覚醒をするのかということが、農業を基幹産業として守ってきたことに繋がっていると思います。東川米がブランド化され、米余りの時代の中であっても足りない状態が続いていました。更に昨年からの米不足、米高騰の中で、東川米はブランド力を発揮しています。

木工家具の町 旭川家具は旭川市中心ですが、そのうち3割は東川町で生産されています。人口割合で見ると、わたしたちの生活にどれだけ利益を与えているのかは想像に容易いと思います。行政はスピード感を持っていると自負していますので、旭川市には絶対負けないという心意気で旭川家具の振興をしています。

敵疎な町 敵疎という言葉は、適当に余白、疎があるという意味で使っています。過密でも過疎でもない町づくりを進めるのが東川らしいのではないかということで、前町長が10年前に使い始めた言葉です。

東川町はここ30年人口が増加しています。奇跡の町なのではないかとよく言われますが、紆余曲折がありながらもその時に必要なことをやり続けた結果だと思います。人口が1万人にも満たない東川のような基礎的自治体は成り立たない、合併という言葉を口にしてしまった当時の町長が選挙で負けるという東川ショック後、北海道はその後も合併が進まず、そこから東川町は前を向いて自立するという選択をしました。福祉、子育て、教育、他の町に劣っていることは全部改善しよう取り組んだ結果、旭川市を中心に住みやすい町だというイメージがつき、あの手この手で施策を打ってきたことが今まで続いているのだと思います。この先も持続するためには、何をしていけばいいのでしょうか。

国勢調査の数字で20年の推移を見ると、小学校に通う子どもの数は100人減っています。しかしわたしたちは100人しか減らしていないと考えていて、全体をいかにバランスよく持続させるかを考えながら宅地造成や様々な政策を行っています。15歳以下の子どもの割合はずっと変わっておらず、人口が増加している中でパーセンテージが変わっていないということは、子どもたちが増えているということですので、全国で少子高齢化が叫ばれている中で、今後も減らさない、少し増加のところを睨みながら、様々な町づくりをしていかなければいけないと考えています。

写真はわたしたちの精神的な柱になっています。写真だけではなく、人、文化、自然を中心とした町づくりを進めようということが、写真の町であるという考え方です。また民間の地域保守協力隊が夫婦でワイナリーを興したり、クラフトジンの工場ができたり、秋以降にはクラフトビールの工場が稼働を開始する準備をしています。
家具の町としても様々なことをやっており、例えば公共施設の中で使っている椅子はすべて東川で作られたものを配置しています。また家庭でも地域でもしっかりと居場所があるという証として、生まれた赤ちゃんに「君の椅子」という小さな椅子をプレゼントする取り組みを行っており、今年で20年目を迎えています。
10年前にはスーパーなどを含めて35店舗だったお店が、現在では80店舗を超えました。町外からカフェ巡りや市街地の散策などで訪問者が非常に多くなりました。また地域通貨カードも実施しています。コロナでの臨時給付金もポイントで配り、現在までに13億円を超える利用があります。消費を外に逃がさない、みんなで助け合って町内で消費しようという考え方です。

ここ10年で一番大きな事業は、留学生への日本語教育の事業です。外国人介護福祉人材育成事業の仕組みをしっかり作り、福祉の専門学校で学んだ留学生を人材が不足しているところに送って仕事をしてもらおうと、現在たくさんの自治体と一緒に協議会を作って進めているところです。
ふるさと納税は、株主制度という名前をつけて、関係人口をいかに構築するのかという取り組みを制度開始から行っています。現在は返礼品をお米中心にして、直近の数字では26億円ほど寄付が集まりました。しかしわたしたちは寄付金を集めることではなく、東川の応援者、応援企業をいかに作るかということを目的としてきました。そこから広がったのがオフィシャルパートナー制度、企業との連携事業です。2019年の制度開始から気付くと現在53社と協定を結んでいます。わたしたちが色々なことを進める時に大きな力になっていただいていますが、例えば留学生の出口対策、就職斡旋で協力いただいたり、基幹産業の農業をはじめ家具や木工、スポーツや教育、様々な部分でたくさんの企業に協力していただいています。

大雪山の麓の町である東川町は、景観を大事にしたいという思いで条例に則した町づくりを進め、統一した景観になってきました。文化施設があったり、隈研吾さんの事務所が入るサテライトオフィスがあったり、赤ちゃんからお年寄りまで交流できる施設をオープンさせたり、様々な事業を行っています。今後はレンガ倉庫や旧東川駅跡を再開発しようというプロジェクトに取り組もうとしています。東川町は新たな局面を迎えています。町民の歴史と誇りを守りながら、文化と関わりの高い町づくりを目指していきたいと思っています。

ご清聴ありがとうございました。

卓話『クリエーションの可能性』2025年5月12日

株式会社ヒロココシノ 代表取締役会長・ファッションデザイナー コシノ ヒロコ様

株式会社ヒロココシノ 代表取締役会長・ファッションデザイナー コシノ ヒロコ様

小篠ゆま: 20周年記念の年に親子対談形式での卓話の機会を頂戴し、心より御礼申し上げます。本日は近年のコシノヒロコの様々な制作活動の紹介をさせていただきながら、クリエイションの可能性をテーマにお話をさせていただきたいと思います。
ヒロココシノブランドは長年全国の百貨店にて皆様にご愛顧をいただいておりますが、同時にアート作品も2002年より発表しております。まずは先だってヒロココシノご挨拶をさせていただきます。


コシノヒロコ: 本日はお招きいただきまして大変光栄でございます。本日はわたしの最近の仕事の内容や、将来のことなどを織り交ぜて、お話をさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。


小篠ゆま: 2021年4月、ちょうどコロナの真っ只中、兵庫県立美術館で、「EX・VISION TO THE FUTURE 未来へ」と題しまして作品展を行わせていただきました。


コシノヒロコ: コロナの中、家から出ることが制限されていた中でご覧くださった方たちには、本当にじっくり観ていただけたと思います。年齢を問わずに楽しんでもらえる展覧会は、実はわたしが一番やりたかったことです。
14のオノマトペによるテーマの表現を用いて、細かい説明がなくても、ちょっとした言葉のはずみで子どもから大人まで想像できるという仕組みにしました。
来場者をびっくりさせようというのがわたしの狙いで、観るだけではなく楽しく1日を過ごしていただくことが目標でしたので、最初の『フワフワ』というお部屋には、ヒロコちゃん人形というマスコットを大きな風船にして設置しました。


小篠ゆま: かなりの迫力でしたね。ヒロコちゃんにお出迎えしていただいたあと、次は『ペチャクチャ』というお部屋がありました。ここには過去の代表的な作品が階段に並び、一つはロボットになっていました。


コシノヒロコ: 安藤忠雄さんの建築である県立美術館に、白と黒を中心にした代表作品を展示しました。わたしは安藤さんの建築が大好きで、無名の時に自宅を建てています。展覧会をやるとしたら最初は安藤さんのデザインした美術館でやりたいというのが願いでした。
次の『人生のオノマトペ84』というお部屋はデザイナー三木健さんにお手伝いいただき、今までやってきた仕事の年表のような展示で、視覚的にも大変おもしろいものになりました。また『ニョキニョキ』では、ずっとデザインしてきた膨大なコレクションであるタイツを展示しました。わたしは60年以上この仕事をしていますが、大切な作品は都度キープしていて、今でも2500点以上の作品が倉庫に眠っています。その中でもちょっと特殊なのが靴下のデザインで、マネキンを作っている会社にお願いをして足だけを借りて、壁からニョキニョキと出ているように展示をしました。


小篠ゆま: 大きな作品もたくさんある中で、この他にもプロジェクションマッピングを備えたお部屋などもありましたが、『ワクワクドキドキ』というお部屋にはオーケストラをイメージして106体ほどの作品を展示しました。
アートとファッションの壮大な企画で展開させていただきましたが、最後のお部屋には、子どもたちとのお絵描きプロジェクトの展示がありました。昨年度より、東京都と公益財団法人東京都歴史文化財団アーツカウンシル東京主催のネクスト・クリエイション・プログラムという子供育成事業のうち「こどもファッションプロジェクト」を受託運営していますが、クリエイションが子どもたちに与える可能性についてはどう思いますか。


コシノヒロコ: 今の学校教育の中では習えないことを子どもの時から教えていくことは、とても大切だと思います。
プロジェクトでは、ファッションショーを子どもたちだけで作りあげました。ファッションショーはデザイナーが中心ですが、モデル、ジャーナリスト、カメラマン、ヘアアーティスト、スタイリストなど、たくさんの人たちによって成り立っている、まさに総合の芸術です。その各分野のプロである友人たちにお願いし、各分野で子どもを募集しました。わたしはデザインを担当し、デザインするためにはどうすればいいか、洋服にするにはどうすればいいかを指導しました。実際に洋服に仕上げたのは社員ですが、普段難しい顔で仕事をしている人たちが、子どもの絵を見ながら、自由に、楽しそうに、好きなように作るのです。この笑顔こそが本当にいい仕事をするために必要なのだと思いました。子どものためと思いながら、結局は自分たちにものすごくプラスになっているのです。楽しい中から生み出さなければ、人の心を打つ洋服を作ることはできません。そのことに気付く機会を子どもたちから与えてもらいました。
わたしは普段から「12歳のまなざし」で絵を描いています。我々が作ったものを次の世代にどのように伝えていくか、子どもの存在を考えることが、クリエイティブな人たちを生み出していく大きな要因になるのではないかと思います。


小篠ゆま: 作った洋服11点プラス、ヒロココシノの40体の洋服をコーディネートするところから子どもも一緒に入り、モデルも募集し、ヘアメイクやジャーナリスト、演出、カメラなどプロの講師の先生についていただき、2日間にわたってリハーサルとファッションショーを行いました。


コシノヒロコ: ほぼ6ヶ月間かけて子どもたちを教育し、最終的な発表会が12月1日にありました。ウォーキングレッスンも設けましたが、実際に音楽をかけると教わった以上の動きを彼らはするのです。リズミカルな音楽になると自分で歌いながら、踊りながら出てきました。教えなくても音を独自の感性で自由に表現しているのです。ここが非常に重要で、小さい時から色々な体験をさせながら才能を引き出してあげることで、将来どんなに素晴らしいクリエイターが生まれるのだろうと、想像するだけで楽しく思います。


小篠ゆま: このように子どもたちは、実際オートクチュールでも使っているような素材を手にして肌で感じながら、ヒロコ先生の指導のもとプロジェクトがなされたわけですが、このプロジェクトは次年度も引き続き行われる予定です。


コシノヒロコ: 子どもたちが描いた絵は、大人が考えられないような一見めちゃくちゃな感じですが、それがとても感覚的におもしろいです。あの線は大人にはなかなか引けないと思うような絵を描きます。持っている個性をいかに引き出すかということ。このプロジェクトを活かしながら、来年大きな展覧会をやるつもりです。
わたしは幼少期、祖父に連れられて毎月歌舞伎を観に行っていました。幼いながら、あの美しい色、音色、三味線の音、その総合的なものがショッキングなぐらいに素敵だと思いました。それが心の中にずっと残っていて、わたしのクリエイションに大きく影響したと思います。子どもの時にいかに感動的なものと出くわすかということ、それによって将来が決まってくると言っても過言ではないと思います。


小篠ゆま: NHK朝ドラでも取り上げていただいた祖母の小篠綾子、もっとリアルな脚色のないストーリーが映画化され、5月23日より公開されます。


コシノヒロコ: 女性ばかりが集まってワイワイと育ってきた中で、母の教育のしかたは独特でした。お姉ちゃんだからとか妹だからとかということはなく、喧嘩をするなら思い切りやれという方針でした。おかげで家の中の襖や障子はボロボロでしたが、しかしこの年齢になってもクリエイティブな仕事を続けることができているのは、ジュンコという人生最大のライバルのおかげです。お互いに存在を意識しながらやってきたことは、母の教育が活かされているのではないかと思います。「与うるは受くるより幸いなり」母の言葉で、うちの家訓です。人に与え、喜ばせ、楽しませる。そして人のために役立つこと。これはロータリーの精神にも通じるところだと思います。決して人のためにやるのではなく、自分に返ってくるのだということです。おかげ様でわたしたち家族は皆様に可愛がっていただき、困った時には必ず誰かが助けてくださいます。人を大切にするということは、全部自分に返ってくるということだと思っています。

本日はご清聴ありがとうございました。



▲ PAGE TOP