卓話
2025年8月
卓話『境界線の旅~イスラエルと日本、ビジネスと宗教~』2025年8月18日
浄土僧侶・起業家 新谷 亮様
わたしの祖父は宮内庁で働いており、東宮侍従として当時の皇太子、今上陛下にお仕えをしていました。わたし自身も中学から大学まで学習院に通い、お寺よりも神道が身近でした。大学を卒業してAIのベンチャー企業に就職し、世界のITを色々勉強していた際にイスラエルに興味を持ち、イスラエルのITスタートアップに転職をしました。2020年にコロナのためすべてシャットアウトされてしまったことをきっかけにWaterhuman株式会社を創業し、現在6期目です。また結婚を機に2年前に得度し、現在修行中です。
イスラエルと一緒に検索されているワードは、やはり戦争の匂いがあるという印象で、危ない国だと思っている人がほとんどだと思います。実際の生活を見ても、スーパーに兵士が買い物に来ていたりします。
エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教、三大宗教の聖地として知られており、過去に様々な国が奪いあっていた場所です。それに対してテルアビブという町は、経済・文化の中心地です。地中海沿いの温暖な気候で、スタートアップが盛んな町です。ユダヤ教は保守的・排他的なイメージがあるかと思いますが、LGBTのパレードも行われており、聖地として毎年パレードの規模は大きくなっています。このようにイスラエルは、エルサレムとテルアビブという相反するような都市が存在していて、だからこそ魅力的だと感じています。
イスラエルは四国と同程度の大きさで、人口は神奈川県と同じくらいです。母国語はヘブライ語、今年で建国から77周年です。75%はユダヤ教ですが、超正統派から世俗派まで分かれており、現在は圧倒的に世俗派が多いです。人口動態はずっと右肩上がりで、GDPも同様に伸びており、国土の大部分が砂漠にも関わらず、食料自給率は90%とかなり高いです。アラブ諸国の市場から締め出され、自分たちでどうにかしなければいけないというところから点滴灌漑という技術を生み出し、結果ITやハイテク産業にもかなり投資が集まるようになり、現在は企業大国、圧倒的に人口当たりのスタートアップ数が多い国になりました。またエンジニアも世界トップで多く、大企業の研究開発拠点として技術的に一目置かれています。
企業大国になった背景にはエコシステムが関係しています。日本では産官学の連携とよく言いますが、イスラエルはそこに軍が加わります。サイバー戦争のこの時代、ドローンの操縦やサイバーセキュリティに重きを置き、軍に入ると3年間実務としてサイバーセキュリティに触れます。その後大学に入り専門的な勉強をするというエコシステムがまわっているので、日本がそこに立ち向かっていくのは今の状況では難しいと思っています。
わたしは、祖父が宮内庁で東宮侍従という役をいただいていたことと、自身も学習院通っていたことで、常に神道が身近にありました。しかし神道は難しく、信仰の中にいることはわかるけれども、神道がどのようなことを言っていて、どんな形をしているかはあまり理解しないままその中にいました。パレスチナ人から、お前の宗教なんだと唐突に聞かれたことがあり、わたしはうまく答えられませんでした。それ以来自分の中で宗教とはなんだろうという思いが芽生え、やはりユダヤ教がわたしのヒントになってくれたような気がします。わたし自身一神教というのは縁遠いものだと思っており、神様の力や超自然的な力で説明することは難しいと思っていましたが、ユダヤ教は食事や日常生活の行動規範が多く、意外とおばあちゃんの知恵袋的な側面もあるのだと感じたことは衝撃的でした。
一神教は三角形、東洋哲学や仏教、神道、儒教は逆三角形だと考えており、山のてっぺんを定めそこに向けて努力をするところが一神教らしい考え方だと思います。ユダヤ人を見ていると、自分はあそこに絶対に行くと決め、それに向けて努力をして、未来を見せてやるという感じだと思っています。一方で仏教を勉強していると、現在あるところを起点に、その命を活かすように進んでいきましょうというイメージで、木が枝を伸ばしていくような感覚で、未来志向ではなく現在思考なのかなという違いは感じました。しかし違いはあれど、仏教では慈悲、キリスト教では愛、儒教では仁や忠恕というような他者への貢献、利他を説くというのは共通していると思います。
宗教とはなにかを考えた時、利他を施す相手の線引きをする、境界線を作るのが宗教なのではないかとわたしは思いました。それぞれが作る境界線でそれぞれの行動規範が伴い、例えば砂漠地帯とモンスーン地帯の常識が全く違うように、それぞれの宗教の信仰が生まれて多様化し、今現在たくさんの宗教があるのではないかと思います。ただ今後AIが急速に発展することで皆ある程度同じ状況にいれるようになってくると、今までの境界線が薄まり、全世界で共通の行動規範が生まれてくる可能性を感じています。その時に宗教者として人々が新たに多くの利他をする対象が広げられるように、薄くなった境界線をさらに大きな境界線で繋ぐことが、これから求められるのかなと思います。
わたしは現在、従業員の大切な人が亡くなった時の死亡手続きの支援事業を行っています。今後、企業の中核世代と言われる40代から50代の方が親の死と日常的に向き合い、働きながら親を看取るとことが当たり前の時代になります。地域などの共同体が希薄化していることも事実としてあり、1990年代以前と比べてご遺族の負担は増えていると言えます。ライフエンディング、人々の死にまつわるところが日本の暮らしと経済に与える影響がどんどん大きくなっている中で、それに備えた仕組みが求められているのではないかと考えています。そして仏教の融合というところで、これからの経営には、より一層宗教的な倫理観が求められると思います。それはイスラエルにいる頃から感じていたことで、AIが日進月歩の勢いで発達し、お金さえ払えばどんな病気でも治せるような世界が到来した場合、ここまではやっていいという境界線をどのように引くかということは、やはり絶対に求められると思います。それをどのように引くかを考えた時、宗教というものは人間の尊厳の部分から引き直すことができるのではないかと考えていて、わたしはそこに可能性を感じています。
どんな仕事をしていようと、どんな身分であろうと、悟ることができるんだ。いつも次のことを考えなさい。今自分は何をしているのか。自分のしていることは自分にとって大事なことなのか。人にとって大事なことなのか。そして大勢の人にとって大事なことなのか。国中の人にとって大事なことなのか。世界の人にとって大事なことなのか。この自然にとって、あらゆる生き物にとって大事なことなのか。よく考えなさい。そしてもしそうでないと思ったらやめるがよい。なぜならこの世のものはみんなひとつに繋がっているからだよ。
これは手塚治虫のブッダ9巻に書いてあったことです。この言葉を胸に、これからも頑張りたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。