卓話
2025年10月
卓話『日本の地方創生を考える~北海道の酒蔵(三千櫻)と富山の劇団(SCOT)のケースから学ぶ』2025年10月27日
東京六本木ロータリークラブ 宮永 雅好会員
2014年に地方創生の取組が本格的に始まって以来、東京圏への一極集中や地方の人口減少などの課題は未だ残されています。こうした中、令和7年6月に今後10年間を見据えた「地方創生2.0」の方向性を提示する「地方創生2.0基本構想」が閣議決定されました。ここで提示されている政策パッケージには、稼ぐ力を高め、付加価値創出型の新しい地方経済の創生の施策として、多様な地域資源の一体的な高付加価値化が掲げられ、地域資源の高付加価値化の取組の強化として、「酒類」や「文化・芸術」が示されています。そうした地方創生の事例として私が経験した酒蔵再建と文化活動について紹介させていただきます。
最初は、岐阜県から北海道に移転して新たな出発をした「三千櫻酒造」の事例です。三千櫻は1877年に岐阜県恵那郡田瀬村(現・中津川市)にて創業しましたが、2010年代に入ると施設が老朽化したことに加え、地球温暖化の影響で、夏場には醸造が困難になるほどの高温になったことから移転を模索。大雪山系の湧水を背景に酒造会社の誘致を目指していた北海道上川郡東川町の公営酒蔵の公募に応じて、2020年に同地へ移転することとなりました。その際に課題になったのは、資金と予算です。
東川町は町営酒蔵を作るにあたって、自己資金を使わずに設立したいという意向があり、その際に考案されたのが一定の要件を満たせば80%の償還金が免除される「辺地債」による資金調達でした。つまり10年後の償還財源を民営事業者に負担させるスキームです。当時、新規に酒蔵を建設し、既存の設備を移管した場合にかかる総コストは、3~3.5億円程度と見積もられました。したがって、三千櫻としては、6~7千万円の資金を確保すれば、移転は可能になります。しかし、三千櫻の財務状況は非常に厳しく、当時の売上高は30~40百万円程度で、利益は赤字、有利子負債は58百万円で債務超過状態でした。
そこで、三千櫻の山田社長は、米系投資銀行をリタイアしたばかりのお酒好きのN氏に相談し、N氏は必要な資金(70百万円)の調達をするため、出資者を探すとともに、私にも声をかけ、この企画を進めるべくチームを組成しました。調達した資金は80百万円で会社の債務超過は解消され、東川町に要求された投資資金の20%の70百万円は預託金として預けることでこのプロジェクトは実現されました。移転後はマスコミ活用や東川町とのコラボ、地元の酒米を使った商品開発や高付加価値商品の販売など様々な努力によって、売上高は移転前から5倍以上に増加。粗利益率も改善し、2023年には累損を解消。2024年には配当も実施できました。
次の事例は、文化・芸術です。私は今年の9月に富山県の山奥にある富山県東砺波郡利賀村で行われた『SCOTサマー・シーズン2025』に参加してきました。利賀村は、岐阜県境に接する過疎の村で、東西23キロ、南北52キロ、村のなかを移動するには、クルマに乗っても1日がかり、しかも山また山といっていいくらい平地がない。冬になると、平常でも3メートル、多いときには4メートルの積雪がある。実際に訪れると、山なみのあいだを渓流が走り、田畑にも豊かな恵みが見られる風光明媚な村落です。
このSCOT(Suzuki Company of Toga)とは、演出家鈴木忠志氏の主催する劇団で、1976年に東京から富山県利賀村に拠点を移し、合掌造りの民家を改造した劇場を利賀山房と名づけて活動を始めました。利賀村と協力して、野外劇場・稽古場・宿舎などを増設してきました。利賀におけるSCOTの活動は世界の注目を集め、利賀村は一躍、世界の演劇人に聖地の一つと言われるようになり、1982年には、日本で初めての世界演劇祭「利賀フェスティバル」を開催、毎年世界の舞台芸術家が利賀に集まり、スズキ・トレーニング・メソッドの訓練や作品づくりの稽古をしています。
移転当時の村の人口は1630名でしたが、その後人口は減少傾向が続き、鈴木氏は、利賀村と協力して、民家を買取る等して、野外劇場・稽古場・宿舎などを増設し、スズキ・トレーニング・メソッドの訓練や作品づくりの稽古の活動を拡大していきました。こうしたSCOTの活動は世界の注目を集めるようになり、利賀村は一躍、世界の演劇人に聖地の一つと言われるようになりました。1982年には、日本で初めての世界演劇祭「利賀フェスティバル」を開催し、毎年世界の舞台芸術家が利賀に集まり、スズキ・トレーニング・メソッドの訓練や作品づくりの稽古を行っています。
一方で、現在の利賀村の人口は400人程度まで減少しています。つまりSCOTがいなければ、廃村になってしまったかもしれません。しかし、SCOTの活動で日本ばかりか世界から人が集まることになり、現在は、SCOTの活動する主要な施設は、富山県に移管され、施設のある一帯は富山県利賀芸術公園と命名され、その運営は県からの支援を得るにいたっています。
今年の『SCOT SUMMER SEASON 2025』は鈴木氏が利賀に移って50周年を迎え、8月22日から9月14日までの間、4回の週末に開催されました。チケット7,000枚は発売日からすぐに完売。このシーズンには9,000人が利賀村に訪れるという盛況なイベントとなりました。
卓話『能登半島復旧・復興の現在位置~「越境・対話・ロビー」の中身~』2025年10月6日
石川県副知事 浅野 大介様
わたしは経済産業省で24年間勤務したのち、昨年の能登半島地震を契機に、7月より馳知事とご縁もあった石川県に副知事として出向しています。
今日はこれまでの1年を振り返っての話をいたします。わたしは2人いる副知事のうちの「外様の第二副知事」です。馳浩知事になってから、石川県庁での副知事の役割は過去とは結構異なるようですが、私の場合、今は政府や経済界との間で能登半島復旧復興に向けたハイレベルでの交渉役や、DXのような横断的な新政策を担う色合いが強いですね。少しずつ結果を出しながら、自分の役割を手探りで模索してきた1年でした。私の場合、2人の秘書官と一緒に、外様が組織の中でどんな化学反応を起こせるか、という実証科学を日々やって、試行錯誤しているような感じです。
令和6年1月1日に地震が起こり、7月に就任して2か月後には豪雨がありました。泣きっ面に蜂とはまさにこのことで、この1年数か月は復旧・復興に多くの時間を使ってきました。感じるのは、復旧・復興というのは、「越境すること、対話すること、政府や国会に対してロビイングすること」の連続だということです。「越境する」とは、組織と組織を乗り越えて仕事を完成させること、つまり組織の壁を越えて、国と県と市と町、その各部門の力を有機的に組み合わせて結果を出すことです。各組織はそれぞれが持っている「個別の手段論」にコミットしてしまいがちなものです。そうじゃなくて「みんなの共通の最上位目標はなんですか?」という問いかけを繰り返して、仕事の方向感を合わせることに苦心しています。そして、「対話する」ですが、とにかく官民連携の対話ってのは難しいですね。基本的にお役所と、NGOやNPO、地場の町づくり団体などの支援団体は「共通の言葉」を共有しにくいものです。同じ日本語の表現でも意味するところが微妙に違うみたいなことをそれぞれが自覚できないまま、対話ではなく、会話にとどまってしまったり、ひどいと会話すらしてない。官民で対話して、信頼関係をつくる上では、対立も恐れずに本音で対話にしないといい仕事は成り立たない。だから異なる文化と言語を持つ組織同士で、「対立」込みで真剣に「対話」することです。その上で国と正面から交渉して協力を引き出す「ロビイング」に向かうわけですが、これは市町の代わりに県だからこそできる仕事で、不都合な制度や運用を見直してもらい、必要な予算も前例にとらわれずとってくる交渉をやるわけです。もう年がら年中この繰り返しです。
ここで基本になるのは被災地での情報収集なのですが。県庁幹部と市町、そして現地に張り付いている災害救助系のNGOやまちづくり組織と直接会話をして生々しい情報を仕入れること大事です。しかし、誰かれかまわず話を聞けばいい訳でなく、「この人の情報は信頼できる」と思える人を平時からつかまえて信頼感を共有しておいて、その人たちと繰り返し議論すること。そうすることでわたしたちの情報の感度が上がり、問題意識が明確に磨かれていきます。
基本的に、県庁みたいな大官僚組織で、知事や副知事まで上がってくる情報は、各部局の縦割りの中で、職員のみんなが「正確に、コンパクトに伝えよう」という一心から、枝葉を落としてツルツルになるまで磨きあげたコンパクトな情報ばかりになります。わたしはそれを「ツルツル情報」と呼んでいるのですが、どうしても生身の人間の生活の息吹が全く感じられない内容になります。被災地の人間が今何に直面しているのかという迫力のあるレポートをこれに求めようとしても難しいわけです。だから補う情報が必要になる。たとえばピースウィンズ・ジャパンやピースボートのような災害救助系のNGO団体は、日本のどこかで災害が起きた時には、初日か2日目には必ず現地にいます。過去のあらゆる災害の時に、あの時はこういう対応をしたということが頭の中に入っているのです。彼らが現地で仕入れて過去事例と比較して持っている現地情報を毎日聞きとり、とにかくトップ下に情報を集めようということをしてきました。
その成果としての石川県の取り組みにはたとえばこんな事例がありました。土砂災害後に、ボランティアが20000人日分入ってもらえれば土砂排除は2カ月程度で完了するという仮説を立て、10月の頭の段階で馳知事から発信をしました。結果として22000人日ぐらいのボランティア参加によって作業が完了したのは12月半ばです。ただ人力で排除してもらった土砂や瓦礫を、今度は重機で撤去しなければいけません。同じ土砂やガレキでも、乗っかった場所が宅地か農地か道路かによって、3省庁にまたがる4つの補助金にわけて事業を行わねばならないというわけです。そのためには仮置き場も一つ一つ分けて置かなければならず、これは現場にとんでもない負担になっていた。だから最終的には地図上で宅地と農地と道路が何平米ずつなのかの計算をして、一括清算をあとでできるようにする補助金交付要綱の改善をお願いをしました。県からお願いをして国の制度運用、4本の補助金交付要綱をすべて一括に変えることにつながった事例です。
この成果によって、今後日本のどこでどのような災害が起きようと、この問題は二度と生じないと思います。この「石川モデル」でこれからもやっていくことになりますので。この話の重要な点は、この政策はNPOとの会話の中で出てきたということです。信頼できるNPOと話す中で彼らがアイデアを出してくれたものを、わたしたちが行政の言葉で案を作って通したという官民連携なんですね。
またもう一つの事例として、石川県と輪島市と輪島のNPOの連携で、公設民営のボランティアセンターを被災地の中学校に立ち上げて運用した話があります。ここもひと悶着ありました。この町野という場所でボランティアセンターが作られないという地元の訴えを受けて動き出したのですが、中学校は学校教育施設ですので、学校側としては「ボランティアも大事ですがここは子どもたちの場です」とも言いたくなる。やはりそれぞれの立場からの職業倫理、守るべき法益がありますから、言いたい気持ちもわかります。ただその瞬間の優先順位は何だろうかということを議論しながら、調整を進めて、子どもたちが他市町に避難している間の時限的な運用として結論を出していきました。
こんな調整をしているうちに、「副知事みたいなハイレベルの人間が現場の話を聞きすぎるのは組織としてリスクがあるのではないか」という話がちらほら聞こえ始めました。要するに、副知事である私が現場の話を聞いて、「わかりました」と言ってしまったら、できなかった時に県の威信に傷がつく、批判を浴びるじゃないかという指摘です。よくわかります。しかしわたしは元々10割解決するなどとは一言も言ってません。「10割話を聞きます、そして120%の調整は試みます、そのうち実現できるのはせいぜい5、6割だと思います」と言っていました。寄せらせた現場の要望内容にだって、無理スジの話も混ざってますしね。それでもまずは全部聞こうとしました。「石川県は動かない、聞いてくれない、すぐ市や町任せにする」みたいな評判が、地震の直後から被災地現場で渦巻いてしまっていました。だから「とりえず全部聞くよ、調整するよ」という態度で向き合って、現場のNGOやまちづくり団体などの中核になる皆さんからの信頼を回復しようじゃないか、だからとにかくまず聞こう、できないことは申し訳ないと割り切って進めていったわけです。こんな感じの全てが官民対話を土台として、前例なき国策や県としての新政策を引き出す作業をひたすら続けてきました。
次の事例は、石川県の能登において和倉温泉の話。能登の経済におけるこの場所の意味付けはとても大きくて、この温泉街で能登の食材が付加価値を高めて出され、それは能登の経済の大きなエンジンのひとつです。なのでここが復活しないことには復興は完了しません。ここの復興には3年くらいかかりますが、雇用調整助成金という休業補償にあたる制度の期限はたったの1年です。しかし1年で切られてしまったら、従業員は雲散霧消し、和倉に誰も戻って来なくなり、イコール和倉の旅館の再生の見通しが立たなくなることを意味するため、雇用調整助成金の特例措置の延長を実現していただきました。今年も再び同じ延長問題に直面しているのですが、在籍型の出向支援の補助金の使い勝手を良くする方向で調整をしています。被災地の現場に立って分かったことは、国が設定した施策や補助金は色々ありますが、県としてまたは市町として、現地の細かいニーズに対応できる自由度の高い予算がないということでした。そのため、知事を先頭に国と交渉しまして、異例の柔軟さで復興計画の長い時間をかけて使える、基金化できる予算を国に用意していただきました。この交渉プロセスはこれからの災害で被災地になってしまう地域があってもそこでの前例にもなると思います。石川県が必死にやってきたことは前例になったらと思っています。
金沢近郊の液状化してしまった地域の土地境界の再画定も、測量などの地籍調査だけで6年7年かかると言われていたところを、国交省や法務省とプランを改めて練り上げて2年で終わらせるプランに書き換えました。ここも知事を先頭にした粘り強い交渉でしたが、過去の災害の際に役人的な裏ワザで切り抜けた前例も、どこまでいっても裏ワザなのでなかなか公式化されず、その後の災害の被災地はその度にゼロからのスタートでした。今回狙ったのはまさに「裏ワザの公式化」で、今後液状化が生じた地域のスタンダードにするということで馳知事が先頭に立って進めました。
とにかく県としては市や町をひとりにしないこと。県と市町というのは法的に明確な役割分担もあって、なんでも県では決められないし、手取り足取りというわけにはいきませんが、まずは耳を傾け手を差し伸べるところから。民間にも協力してもらいながら、県庁から政府の各省を引っ張りまわすくらいの交渉力でコトに臨むと、思った以上に動くものはあるなという感触はありますし、この成功体験を一緒に共有した県庁の職員は少しずつ増えて、少しずつ行動が変わっていきます。また石川県の場合は国会議員を26年務めた馳知事の存在、その政界でのネットワークが突破口になって交渉を進められることの意味は非常に大きく、そのトップがこじ開ける突破口からわたしは何をすればいいのかということを色々試行錯誤し、「外様」の副知事としてどんな付加価値が出せるのかということを題材として毎日の仕事に取り組んでいます。
能登は復旧のフェーズの終盤にきて、これから復興本番です。能登は素晴らしい風景と食と文化の地域です。この豊かさをひとりでも多くの方に知っていただけるようにこれからも努力していきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。